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いつからだったのでしょう、私が猫に惹かれたのは…
実家では、
中学生の頃にようやくハムスターを飼う事だけが許されました。
それも、すぐに死んでしまうことが悲しくて飼えなくなりました。(特に母が)
学生時代、
春、夏、冬休みに仙台の親戚宅へ行った時のみ犬(マルチーズとシーズーのミックス)と猫(サバトラ)に触れ合う機会がありました。
その頃は別段猫に目をキラキラさせていた訳でもありませんでした。
でもね、
冬に猫が布団に入って来てくれる喜びや、抱っこして寝る暖かさは知っていました。
猫が好きというより、親戚の家にいたその猫が好きという思いでした。
24歳の頃、仙台で大腿骨(太もも)骨折で入院。
足以外は健康な為、充分な時間をかけてたくさんの絵を描きました。
祖母に頼まれた絵は猫のイラストが描かれたポスターの模写。
本物の猫を真剣に描いたのは入院中にお世話になった方のリクエストで、その方が飼っている2匹の長毛猫達の絵でした。
この頃の私は、外で暮らす猫と家猫の違いも分かっておらず猫の目はスルドイものだと思っていたっけ…(´-`).。oO
【アクセサリーへの道】そして猫
20代音楽活動をしていた時代、シルバーアクセサリーというものが好きでした。
でも、高くてあまり買えず憧れで…
「これはっ‼︎」と思う物を数ヶ月悩み続けたりしました。
幼少より絵を描いて来ただけに、曲線のバランスや立体感に納得しない限り身に付けたり所有したくはありませんでした。
音楽仲間の一人に彫金学校の卒業生がいて彼に「作ってみたい」と話し、家に行き道具を見せてもらい何度か体験をさせてもらいながら道具屋を聞き、最低限の道具を揃えていきました。
(この頃から別ブランドの《妖艶》のアイテムになる物を作る日々が続きます。自分が着ける為でした。)
彫金のキッカケをくれた彼の家には、コンテストで賞を貰うような数匹の猫たちが居ました。
彼のお母さんの猫話を聞いているうち、猫を作ってみるという流れになったと記憶しています。
彼のお母さんに見せる為、肉球凸リング凹リング、口元リング、指を抱きしめる猫の手リングVer.1、しっかり握った猫の手リングVer.1、猫顔チャームリングの6本を作りました。
これが“にけねこ”の始まりです。
製作するにあたり、
改めて猫という生き物を調べてみると、猫についての項目がとても多い事を学びました。
「猫耳はよく聞くなぁ」
「猫背って実際はこういう角度を言ってるのか」
「みんなが最高って言ってる肉球って、犬の肉球と比べて全然違うじゃん!っというより、この猫の手ってなんなの⁉︎ ちょこんとおすまししたこの感じ、グッとくる可愛さ最高!!」(((o(゚▽゚)o)))♡
猫熱に火がついた頃、
僕は友人達へのプレゼントに絵を描いたり、
その友人が好きな漫画の主人公(バガボンドの武蔵)が二刀流を構える姿を立体彫刻したりしていました。
友人へのプレゼント企画のひとネタでしかなかったアクセサリー作りは、周囲の勧めで販売へと向かいました。
それからは、
とても多くの猫好きさん達と出会うことが出来まして、nike-neko(小方大樹)が生きてこられました。
自分が自分でいられる事、心から好きな猫という存在で人と繋がり笑い合える喜びを感じています。有難うございます。
【ハッちゃんを保護して想うこと】
今思えば最後の最後だった。
ハチワレの女の子を保護して、自分の空間に猫が居てくれることのなんと嬉しいことか。
毎日毎日が病院の往復でしたが、先生から猫との暮らし方や猫の身体の事、対策などを教えてもらい命を預かる覚悟を学びました。
悲しくもそんな状態だったハッちゃんとは長く暮らす事は出来ませんでしたが、毎日思い出していたりします。
2回目に遭ったあの時、確認を含めて3度ほど呼びかけて全てにちゃんと返事をしてくれた時から一緒に居てくれたハッちゃんにとても感謝しています。
(あぁすれば、こうしたらっという後悔はありますが…)
今、地方への長期出張が多く責任を持って一緒に暮らせない想いは、いつかたくさんの猫達を迎えて暮らす事を目標として前に進んでいます。
2017年3月7日
nike-nekoデザイナー(親猫) 小方大樹